医学科-医師を目指す方
保健学科-看護師・理学療法士・作業療法士を目指す方

 dean 202304
鹿児島大学医学部長 大脇 哲洋

 鹿児島大学医学部は、医学科と保健学科の2学科からなり、保健学科はさらに看護学、理学療法学、作業療法学の3専攻から構成され、総合的に医療専門職の育成を図っております。医学科は直接の前身である鹿児島医学専門学校の創立から数えて80周年になり、保健学科は鹿児島大学医療短期大学部を発展的に解消して医学部保健学科に改組して25周年になります。

ここに医学部の理念を記します。
鹿児島大学医学部は、
1.人間性豊かな
2.地域に貢献する
3.研究心旺盛な
4.国際的視野に立つ
医学・医療を担う人を育成します。

 鹿児島における西洋医学の医師育成の歴史は薩摩藩が薩英戦争の教訓から1864年(文久4年)に設立した薩摩藩開成所の5つの学科に医学が含まれていたことに始まります。1868年(明治元年)に薩摩藩が鳥羽伏見の戦いの負傷者の治療をイギリス人医師ウィリアム・ウィリスへ依頼しました。彼は当時の最先端の技術と知識を持って、敵味方無く治療を行い、赤十字精神を示しました。同年に薩摩藩が医学校と病院を設立し、翌年に東京医学校兼病院(現在の東京大学医学部)の初代校長であったウィリアム・ウィリスを西郷隆盛や大久保利通らが鹿児島に招聘したのです。彼はイギリス流の臨床実証医学を重んじ、医学生に患者を前にしてのベッドサイドティーチングを行ったとされています。日本最初の医学博士であり、東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛らを育てたことでも有名です。彼は公衆衛生教育にも尽力し、牛の死肉食用禁止の指導なども行いました。赤倉病院と呼ばれた医学校はその後県立医学校となり、1888年(明治21年)に一時廃止となりましたが、鹿児島における病院機能は様々な形で存続し、1943年(昭和18年)に鹿児島大学医学部医学科の直接の前身である鹿児島医学専門学校に引き継がれました。1947年(昭和22年)に県立鹿児島医科大学(旧制)、1955年(昭和30年)には県から国への移管により、鹿児島大学医学部となりました。南九州、特に離島を含む南北600kmの広大な地域の医療と保健活動を担う医療人育成の強い要望に添うために、鹿児島県における唯一の医育機関として、現在まで一貫した使命を果たしてきました。

 従来、医学部は教育・研究・診療の3つの重要な役割を担っておりましたが、国立大学法人化以降は社会的需要への対応のために、教育は医学部が、研究は医歯学総合研究科と保健学研究科が、そして診療は鹿児島大学病院が中心になって実践しております。人は、身体的、社会的、精神的に健やかな事で健康と言えます。Bio-psycho-socialなアプローチが必要であり、高度先進医療だけで無く、包み込むような全人的な医療も重要です。そのためには、臨床家だけで無く、基礎研究者や医系技官(行政)も必要です。多様な場面で、利他的に行動できる、真のプロフェッショナル医療人が求められており、これらの独立した3つの部局が緊密に連携し、地域社会のご協力を賜りながら、その育成に努力してまいります。

鹿児島大学医学部へのご支援を、よろしくお願い申し上げます。

(2023年4月)